カテゴリ:江戸検定( 71 )

江戸文化歴史検定 第13回

 
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 今年の江戸検会場 新宿の工学院でしたね
 もう今年で13回目かー・・・と感慨深かったです
 第一回は 確か「青学」だったと思います
 そして 私が一級合格した第三回は 明治大学
 試験会場も 毎年変わりましたねー
 今年の受験者数の統計はまだ出ていませんが
 全体で千人を超えるくらいの所ですかね
 第二回の初めての一級受験者は 千人超えていました
 合格者は二名だけ
 村上さんと 十松さん 
 私も含め 残りの千一名は 見事に振り落とされました
 ま、受けた直後に 落ちたのはわかってたんですがね
 そのあまりの難しさに もう受験断念しようかと思った
 くらいです
 そこで そのままあきらめてたら 今の一級仲間には
 出会えてなかったので あの時の自分の不屈の闘志
 えらいじゃん!と ほめてあげたいです
 今年の受験者のみなさんも 自己採点で 落ちた・・・ 
 受かった!と 二通りの状態でまだ決定してない
ちゅうぶらりんのもどかしさがあるでしょうが
落ちた方には「また次があるさ!」
受かった方には「これからがおもしろいんですよ!」と言いたいです
どちらの方も お疲れさまでした
しばらくは 江戸を離れて 好きな分野でお楽しみください!


 

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by tukineko-diary | 2018-11-13 13:45 | 江戸検定 | Comments(0)

上野韻松亭と忘年会

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 先週の金曜日 台風の前々日
 江戸検一級会の集まりが
 上野 韻松亭(いんしょうてい)
 で 開かれました
 上野公園の中 精養軒の手前です
 わたし 昼間にお茶飲んだことはあるのです
 が 夜ははじめて
 ← なんと!二階にこーんな素敵な個室が 
 あってですね 
 外にはかがり火もたかれ ここが東京とは
 思えない 清々しい空間でした
 亭主関白な幹事の津田さん 
 お疲れさまでした
 今回 旅行の予定があって・・・と
 参加できない方が多かったのですが
 お気の毒に!
こんないいところに来れないばかりか おそらく全員台風にまきこまれたことでしょう
あげておきますので うらやんでくださいね

次回 忘年会の幹事は わたし「月猫」です
今回のメンバーで 日にちは決めてしまいました
12月 8日(土) 夜です

万難を排して 出席が義務付けられていますので
各位 肝に銘じて 刻苦精励につとめるように      以上
 

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by tukineko-diary | 2018-10-03 16:35 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロインたちの化粧

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 江戸のヒロインたちのお勉強するのに
 お化粧のこと どうしてもネックになります
 紅・白粉は別として 鉄漿(おはぐろ)と
 眉剃りのこと きちんと書き残したもの
 思ったほど多くないのです
 そして当時の浮世絵も あてになりません
 守貞謾稿(もりさだまんこう)=近世風俗志
 に こう書いてあります
 「浮世絵師の描く美人画は 真実を描いて
 いない 現在 二十歳を過ぎた女性は
 必ず眉を剃っているのに 絵に描くと
 四十過ぎに老けて見えるため わざと眉を      
 描いている 後世 この絵を見れば きっと
 これが真実と誤まることだろう」
 喜多川守貞 正しかった!・・・と思います
 「鉄漿」は 結婚が決まり 結納が届けば
 必ず「初鉄漿(はつかね)」という儀式をしました
 知り合いの七軒から 少しずつ鉄漿水をわけてもらい
 ます これは今で言う婚約指輪をはめるみたいなもので
 「二夫にまみえず」という決意表明の意味があったとか
一方 たとえ独身であっても 十八、九になれば 江戸では 鉄漿をつけたのだそうです
 これを「半元服」といいました
 また 十五、六才で嫁入りした場合は 鉄漿をしないこともあったようです
この時代は 鉄漿と丸髷はワンセット 丸髷は老けて見えるので十五、六では
いやだったのでしょう
でも妊娠すれば いやおうなく眉剃りです
ママ友は 全部 眉毛なしなんですねー
この辺り 史料によって割とまちまち
でも 年増で白歯なのは 芸者くらいなもの…と書いたものもあります
また岡場所では 白歯だったようですが 吉原の花魁は 
眉剃りはしませんが 鉄漿はつけていました
これは「一夜妻」という立ち位置だったからですね
鉄漿 眉剃りは 明治になってからも だいぶ後まで続いたはずですが
あっという間に 伝説の闇に消えてしまった風習です
戦前までは 残っていた地方もあると思うのですがねー・・・
うちの祖母は明治生まれでしたが その母は鉄漿付けしてたそうですよ
山梨の甲府でのことです 地方による差もあるのでしょうか
古くは 源氏物語にも出てくる女性の鉄漿ですが
なかなかまとまった研究は 進んでいません
ほんの少し前のことと思うのですが 歴史って不思議ね
今60才前後の人なら 三代前の女性は 多分つけてたと思うのに
江戸の俚諺集には「三日(八日も)鉄漿はつけるな」
「初鉄漿の日にホウレンソウを食べるな」など いろんな禁忌が載っています
眉剃りの方も 18才で剃るのを忌む風習があったようですが 詳細はわかりません
「江戸の化粧」渡辺信一郎著 平凡社新書 が詳しいので
一度読んでみてください
     

 

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by tukineko-diary | 2018-08-11 11:33 | 江戸検定 | Comments(5)

大江戸吉原ものしり帳

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 「怪談」の本 読み尽してしまったので ここらで少し
 江戸関連の本にもどりますねぇ
 今年はじめて 江戸検でも解禁になりました吉原
 これに関しては 江戸時代に書かれた文献も多々ありますが
 どれも 字が小さいうえに 昔の仮名遣いなんで読みにくいですね
 そして 江戸は260年以上ありますし 吉原は幕府より前から 
 なので もっと長い歴史があります
 どの本も 一人が書いた場合は ほんの一部の吉原を書いただけ
 ということになります 時代によって慣習も 流行りも 風俗も 
 変わってしまうので 全部読むのは ちょっと無理
 「吉原大全」も 読みにくいし・・・というなら まあ
 だまされたと思って ← これ読んで
 わかりやすいし 文章がうまい!
 そりゃあそうです 北村鮭彦=北村一夫だもの
 今は この方の本 読む人少ないのかしら
 検索して見たら かろうじてこの文庫本と「江戸おもしろ生活百科」が
一円の値がついていたのと 自分の昔のブログ「江戸 東京・・・」で 熱烈におすすめしてるのに
ぶちあたっただけ・・・ついでに 自分のブログ 懐かしく読んできました
北村氏の本は 事典類もすばらしく役に立つので ぜひ揃えてくださるといいと思います
私は この本で「紙花」のこと 初めて知りました
懐紙…今で言うポケットティッシュは 吉原では一枚=金一分の現金代わりに
使えました 「小菊」という小型の和紙で 一帖は48枚でしたので全部で12両になります
これを祝儀の時に配って 次回に現金に換えてやる・・いわば約束手形です
もちろん 今来たばかりのすっとこどっこいには使えません
信用のあるおなじみのお大尽でなきゃ つかえないのですね
これを「小菊」または「紙花」といいました
あと吉原の引け四つ(本当は九つ=12時)は 木の四つ ということ
引け時間を引き延ばすため 吉原では 四つ(10時)も九つ(12時)も
拍子木を四つ打ちました だから「木の四つ」で 本当の四つは「鐘の四つ」といいます
  吉原は拍子木までが嘘をつき
川柳にもなっています

実はね 今私たちの一級会では 避暑地の村上御大から日に一つ
吉原に関したクイズがメールで届くのです
そのため二階の 殺人的に暑い書庫から 関係書籍をさがしたかったのですが
昨日・おとといの台風による一時的涼しさの中 やっと数冊 発掘したの
その中の一冊がこれ
やっぱり とても役に立ちますなー
いっしょに「古川柳風俗事典」田辺貞之助 も見つけました
これで 村上さんのクイズにも 答えられるかな?
もちろん 今年の江戸検にも 答えられると思いますよ



 
                                                             

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by tukineko-diary | 2018-08-09 14:41 | 江戸検定 | Comments(2)

江戸の恋

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 集英社新書です
 いつ買ったのか 覚えてないのですが 今年の
 テーマ「江戸のヒロイン」に役に立つ本はないかな
 と 本棚を漁っていたら見つけました
 恋の手本 初恋 恋文 恋人たちの場所 恋と性 心中など
 章ごとについているタイトル見ても おもしろそうでしょ
 男色 という章もありますが それ以外は江戸の男女の
 色恋沙汰が書かれています
 あっという間に読めて 読み物としても楽しめます
 出典は 本文にもありますし 巻末に上がっていますので
 気になったものは どうぞ読んでみてください
 新書版は きちっと出典が載っているものが多いので
 おおいに利用しようではありませんか
 特に高温注意報の出るイマドキの日本
 家にいて 空調のきいた室内で デジタルで読める古典は
 本当に便利で 健康にもいいのでおススメです
 ここまで書いたら パソコンが熱いので もうやめます
 台風も来てるそうですし それも関東は直撃コースですので
 気を付けましょーねー ではまた!

 
 
  

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by tukineko-diary | 2018-07-25 15:53 | 江戸検定 | Comments(0)

江馬細香 愛人説

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 よくいろんな本に載っている江馬細香 頼山陽の愛人扱い
 (← 手前の座ってる人が 細香 後ろは梁川星厳の妻・紅蘭)
 あれってどうなの?と思います
 師弟愛はあったのだろうし 細香はそれが恋愛感情と結びついていた
 かもしれませんが 頼山陽はそこまでとは思えません
 文政10年(1813)初めてあった時は 確かに「お、いいな」と
 思ったのでしょう すぐに細香の父に結婚を申し込むのですが
 そこは27才まで 美貌にもかかわらず おそらく降るようにあった
 縁談を すげなく断っていた娘の父は 「いやいや あいつは 文学
 ばかりで嫁になど行かんでしょう」と ことわってしまうのですね
 山陽は 「ああ、そうですか」と そのまま引き下がり 「来年 春に 京都においでね」と告げただけで 数か月後には18才の梨影(りえ)と再婚してしまいます
細香の方は 父から山陽の申し出を断った話を聞き 「そ、そんな~」と思ったでしょうが
来春 嵐山で会う事もあり その時でいいか!と思っていたら
まさか とっとと18才の嫁を貰ってたなんて・・・
山陽は そんなに細香に執着がなかったのだろうし
それよりもそんな山陽の気持ちを知って なおかつ愛人でもいいとは
女なら 絶対 そんな風には思わないです
ましてや文才にたけたプライドの高い女だったら絶対に!
なおかつ その後も2,3年に一度は 京都に行っていますが
常に 頼夫婦が住む所に泊まっていますね
「愛人」の身なら せめて会える時は 二人きりで会いたいでしょう
そうでなく 夫婦と同じ屋根の下で 眠れない夜に
「手燭でも借りて 庭の花でも見ようか」なんて詩まで書いているので
これはもう片思いの女性のマゾ的心境を詠ったとしか思えないです
男の人は 簡単に江馬細香愛人説を「この時代ならあるんじゃなーい」と
認めがちですが 女性は そうは思わない方のほうが多いと思いますよ
山陽の死後も 妻・梨影と親交を続けた細香は
妻や愛人としてでなく 一番の弟子として 山陽を愛していたのだと思いたいです


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by tukineko-diary | 2018-07-23 13:02 | 江戸検定 | Comments(0)

太田南畝と遊女三穂崎

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 山東京伝の「吾妻曲狂歌文庫」の中にある
 四方赤良こと太田南畝の肖像です
 南畝は もっと歳をとった時の肖像が有名ですが
 若い姿を出したかったのは たぶんこの頃 吉原の
 松葉屋から三保崎という遊女を身請けしているから
 なんですね
 作者の山東京伝の妻も 30才の時に扇屋の菊園
 (お菊)その死後40才の時 玉屋の玉の井(百合)
 と 二人とも遊女でありましたが 南畝は幕臣
 でしたので いろいろ問題もあったと思うのです
 ← この狂歌は「あなうなぎ いづこの山のいも
 とせを さかれて後に身をこがすとは」

 仲を裂かれた男女をウナギに例えて詠んでいます
 これとは別に「三保の松」という歌集があるのですが
 こちらはタイトルからわかるように三保崎にささげた
 歌集です
 をやまんとすれども雨のあししげく又もふみこむ恋のぬかるみ
 我が恋は天水桶の水なれや屋根より高き浮名にぞたつ
 くるすののかこいものかときく紅葉 おりおり人のさたもうるさじ

狂歌の名手も 自分の恋人に対しては わりと凡庸・・・
好きな人の前では 天才もただの人になるのかしら
南畝は病弱な三保崎を 遊郭の寮に預けて 養生させていましたが
どうやらこれが噂になったようですね
おりしも 田沼政権が失脚し 大文字屋の誰が袖を身請けして
妾にしていた土山宗次郎が 公金横領の罪で死罪になっています
これはいけない!とおもったのでしょう
南畝は 美穂崎を自宅の敷地内に住まわせ 妻妾同居が始まります
七年後 美穂崎は亡くなりますが 南畝は深く悲しみ
毎年 命日には友人を招いて法要を営んでいたといいます
こういう時 本妻はどうしていたのか 知らん顔するのも
まめまめしく手伝うのも 何か言われそうで 迷うところですね
江戸の本妻は 苦労が多いのですねー
南畝の随筆「松楼私語」は 美穂崎が語った松葉屋の日常です
こちらもおもしろいのでお暇な時ぜひ

 
 

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by tukineko-diary | 2018-07-20 12:56 | 江戸検定 | Comments(0)

了然 顔を焼いて入門

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「古今命婦伝」より 了然です
テキストに載ってないのが 不思議なくらい
この人は 武田信玄の曾孫・葛山長彌の娘で総(ふさ)といいました
秀忠の娘・和子が 後水尾天皇の中宮になると それに仕え
主人亡き後 一時 医家の松田晩翠に嫁ぎ 二男三女をあげますが
わかれて 和子=東福門院の孫に再び仕え またこの人が亡くなると
京都の宝鏡寺にいた後水尾天皇の皇女に師事して 剃髪します
そして江戸に下り 黄檗宗の禅僧・白翁に入門を願いますが
なんと!その容貌があまりに美しいからと 断られてしまうのです
しかし 近隣の家に駆けこんだ了然は そこにあった銅の火おこしを
えい!とばかりに頬にあて 美しい顔を無残に焼いて
再び 入門を乞うのです
まー えらいこっちゃ!
「夏祭浪花鑑」のお辰のようですね
無事 入門を許された了然は 上落合(新宿区)に泰雲寺という
黄檗宗の寺を立て 開山として白翁を招きました
残念ながら もう廃寺ですが 新宿に黄檗宗のお寺があったのですねー
ちょっと覚えておいてくださいねー


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by tukineko-diary | 2018-07-05 20:05 | 江戸検定 | Comments(0)

日の出屋後家

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歌麿の「高名全盛六家撰」のうち「日の出屋後家」です
他の五人が芸者・遊女・茶屋女・看板娘・豊本師匠なのに
この人は「後家」ということしかわかりません
湯上りのしどけない浴衣姿が 後家っぽいといえば そうなのですが
日の出屋というのは何の商売だったのでしょう
左上の絵詞を見ても 木々の上にカラスらしき鳥が飛び
お日さまが大きく描かれているだけ
他の例からすれば「矢」の絵があるべきところ これにはないですね
一説には この絵は「烏森の後家」とも言われています
確かに そっちがあたっているのかもしれないですね
この絵が描かれた寛政当時 この後家さんは 聞かずともわかるくらい
美人で有名だったのに 今ではすっかりどういう人かわからない
さっさと再婚しちゃったのかもしれませんねー
歌麿が 江戸で全盛の六人の中に選んだほどの美女は
ミステリアスな後家さんでした

高名美人六家撰 ほかの5人のことも調べといてくださいね
たぶん 試験に出るでしょう
例えばこんな風に・・・

問 喜多川歌麿は 美人絵をたくさん描いていますが その中の
 「高名美人六家撰」に 含まれていないのは誰でしょう

(あ)富本豊雛  (い)辰巳路考  (う)高島屋おひさ  (え)玉屋 花紫



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by tukineko-diary | 2018-07-04 11:29 | 江戸検定 | Comments(3)

高尾考と只野真葛

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 只野真葛さん 覚えてますか?
 燕石十種一巻の中の「高尾考」を読んでいたら
 真葛さんの書いた「奥州ばなし」が出てきました
 今は現代語訳されていますので 簡単に読めます
 只野真葛は 結構歳がいってから 仙台藩の江戸
 詰のかなり年上の人の所に嫁に行っています
 そして夫の留守宅と先妻の子供たちを守るために
 一人 仙台に下ります
 今の単身赴任の逆ですねー
 そこで聞いた話を まとめたのが「奥州ばなし」
 「高尾考」では 万治高尾・・・仙台・伊達公に
 舟の上で吊るし切りにされたという噂を「奥州ばなし」
 を引いて こんなふうに書いています
 世の人は みんなあれが本当にあったことと 思って
 いるがあれは違う
 芝居や浄瑠璃で おもしろく作った話で いつかしら
 それが真実と思われるようになっただけ
高尾は ちゃんとお屋敷に召し抱えられ 後には老女となった
老いてからは 後を立てるため 椙原という番士に継がせ
重太夫・新太夫という二つの名前を かわるがわるに名乗った
今 目付役の椙原重太夫はその末裔である
夫の只野氏は 近親なのでその事情を知っている
椙原家でも 世間の人がまことしやかに話すのがおかしくてしょうがないが
我こそ高尾の末裔なりと名乗るのもおかしいし
黙って 聞き流しているという
また 「白石の女仇討」と名の高い宮城野 しのぶ などというのも
無かったことで この二つは 作り事が世に広まったものである

どうでしょう?
「経世論」を書くほど 論理的な真葛さんが 言うのだから
きっと ガセネタだったんでしょうね?
 

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by tukineko-diary | 2018-07-01 22:40 | 江戸検定 | Comments(0)