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江戸のヒロイン~只野真葛

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 マンガなどで「タダノ クズオ」という人物が出て来た
 ら あ、くずキャラなんだな ってすぐわかりますよね
 「丸出だめ男」といっしょです
 只野真葛も 結構なクズ感のある名前だと思います
 もちろん「真葛」は 今で言うペンネーム
 ← 実は こんなきれいな実のなる「さねかずら」の
 ことです
 何しおはば 逢坂山のさねかずら 
          人に知られてくるよしもがな
 和歌でも有名ですよね

この真葛さんは 仙台藩医・工藤平助の長女として宝暦13年(1763) 江戸で生まれました
この時は 工藤綾子ですから 現代にも通用する名前ですよね  
父・平助は「赤蝦夷風説考」書いた人 時の老中・田沼意次にも重用され
文人大名や 蘭学者が出入りする家で育ちました
しかし田沼失脚にともない 家も傾き 綾子も仙台藩の奥に仕え
26才の時には 年の離れた人のもとへ 一度嫁に入っています
ところが泣いてばかりいたので あっという間に出戻り
30才になった時 一番下の妹がまだ7才というのに 母が亡くなり
35才では 跡目を継いだ弟の力になれるようにという父の思いで
仙台藩の千二百石取り 只野伊勢の後妻に入りました
只野は 仙台藩の江戸番頭をつとめ 本国には先妻の子供がいました
結局 真葛はその留守宅を守り 子供を養育するため仙台に下るのです
この時の道中は「みちのく日記」という旅行記に記されています
うーん とうとう「只野真葛」になりましたね
その三年後には 父も死に 十年後には弟が
そして夫も 真葛50才の時 江戸で急死しています
ここから 真葛は著作活動に専念 
55才で 代表作であり 数少ない江戸期の女性による経世書  
「独考(ひとりかんがえ)」を 書き上げます
世の矛盾や不合理を指摘し 他国と比較するこの書は
儒教道徳を真っ向から批判する内容でしたので
滝沢馬琴に出版を依頼するも 強く反対され 結局 上梓されませんでした
関東大震災で一部が消失し 今ではその全容は うかがい知れませんが
近世の女性の残した「独考」 たぶん江戸検にも出ます
しっかり覚えておいてくださいね




 


by tukineko-diary | 2018-06-07 13:24 | 江戸検定 | Comments(0)