伊勢内宮の慶光院

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 来月 伊勢参りに行くことになり 今 絶賛
 お勉強中です
 いろいろ本を読んでいますが 竹澤秀一 著
 「伊勢神宮と天皇の謎」バツグンに面白かった
 です
 ← そしてこれはおはらい町にある慶光院
 今は 神宮祭主の宿舎となっていますが
 明治までは 尼寺です
 戦国時代 荒れ果てた伊勢神宮のため 
 この寺の尼僧が 行脚して浄財を集め
 宇治橋の架け替えや 式年遷宮の復活に尽力し
紫衣が許されていたのですね
神仏分離で あえなく廃寺になったのですねえ
織田信長や 秀吉からも 寄進を受けたほどに 尽力したというのに・・・
もう一つ 江戸時代に詳しい方なら ご存知ですが
三代家光の時の「お万の方」
お万・・・と言う名前は 家康の側室にも二人いて この当時
徳川の大奥で 受け継がれた名前なんですかね
家光に非常に愛されたこの方は 公家の六条家の姫で
16才の時 この慶光院を継ぐことになって お礼のため参上したところ
あれよあれよという間に還俗させられて 奥に入ってしまったのです
「柳営婦女伝系」によれば「この人 世に勝れたる容色」・・・
つまり とーっても美人だったのですね
寛永17年に 慶光院の院主が亡くなったという記録がありますので
多分この跡を 継ぐはずだったのでしょう
しかし この人が大奥に入ったので この時から
伊勢内宮の御師・山本太夫(慶光院開山の比丘尼の子孫)の娘が
代々 受け継ぐことになりました
同時に 山本太夫も三百石を賜り 代々の将軍家の御師になったのです
江戸参府の折の宿舎を霊岸島に賜り 太神宮も立っていたと言いますよ
嘉永の切絵図にも載っています
しかし お万の方の方は「老中の内証によりて懐妊を禁じ(将軍外戚伝)」
られたためか 結局 子はなく終わってしまいますが 
それでもとにかく寵愛されたようで
この人の弟も 「戸田中務大輔」として 出世しています
美貌ゆえの 運命の変転・・・
尼になるより 良かったのかしら たぶん そうなのでしょうね
伊勢に行ったら ぜひ慶光院も立ち寄りたいです

 


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by tukineko-diary | 2018-03-27 18:53 | 日記 | Comments(3)

Commented by 小ツル at 2018-03-31 11:48 x
月猫様
ばたばたしていて月猫にっきを見ていなかったら
月猫様のお誕生日に気づきませんでした。
今更ながらおめでとうございます。
優秀な方には早生まれ、多いですよね。遅生まれに追いつくために努力する習性がつくのでしょうか。
寺子屋では習熟度別に勉強が進みますが、現代の学校は早生まれ遅生まれいっしょくたですものね。
それはさておき、「お万の方」といえば、私の世代は吉屋信子の新聞連載「徳川の夫人たち」です!
テレビでは佐久間良子、秋野多作(あのころは津坂 匡章)でした。なつかし~。最近この本を読んだという、少し若い方が「私も清く正しく生きようと思った」という感想を述べていらっしゃいました。ん?そういう内容だったかな。
吉屋信子にかかると何でも少女小説になるので家光公もなかなか魅力的に書かれていた気がします。江原真二郎でした。
Commented by 小ツル at 2018-03-31 15:07 x
そうそう、月猫様はあまりテレビはご覧になりませんか?
朝6時55分からのEテレの5分番組「0655」はご存知でしょうか。
これで時々流れる干支ソング「ぽちがとおります」で
「お伊勢参りに行きたい、尊敬するおかげ犬」
なんていう、歌詞があるんですよ。
ポチは白犬なんです。広重の絵のおかげ犬も白犬だということにこの歌で気づきました。
Commented by tukineko-diary at 2018-04-08 13:29
小ツルさま
大幅に遅くなって申し訳ありません
誕生日以降 バタバタと雑用に追われていました
いいこともあり 悪いこともあり いろいろです
隣の100才のおばあちゃまが転倒して救急車
娘の転職 夫の退職が決まったり
ウォシュレットが止まらなくなる大事件もあり
PCはメールチェックもできませんでした
いやー 歳をとるごとに生活は忙しくなるんですね^^:
びっくりです