勝小鹿 海舟怒りの私費留学

             
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 勝小鹿(かつころく)勝海舟の嫡男でしたがあまり写真がないのですね
 留学時代の一枚がやっと見つかりました
 体が弱かったみたいで 病気療養が多く 39才で亡くなっています
 この小鹿のアメリカ留学に関しては おもしろい経緯がありました
 自身も万延元年(1860)遣米使節に随行した海舟は 息子・小鹿も
 海外留学をさせたいと 常に願っていました
 幕府は 慶応2年(1866)英国留学生の選抜試験を行い 13,4名を
 選抜するのですが この情報は海舟の耳に入らなかったのです
 江戸東京博物館蔵の「海舟日記」では この時の怒りが爆発!
 「江戸にて英国江伝習十三・四人程命せられたり,
  小拙か忰兼て願置きしか, 其試にも御達無之,
  況哉御選抜之事誰人申者なしと云 
  是其上官我を忌憚て如斯,真可怒之甚敷也,
若一朝出勤せば自分入用を以て留学成さしむも豈難からむ哉」

その上官の中に 自分の事を忌み嫌うものがいるんで 誰も話してくれなかった!
と 怒ってますねー
この上は 自費留学させてやるぞっ!・・・というわけです
この留学に 海舟は自分の門下生 仙台藩士・富田鉄之助(33才)と
庄内藩士・高木三郎(28才)を 後見人に付けました
当時17歳の小鹿は 留学中から病気がちで せっかく入学できた海軍士官学校も
休みがちでしたが 後見人の二人は 維新後 富田は日銀総裁に
高木は 外交畑で ニューヨーク領事などを勤め 活躍しました
三人が米国に渡ったのは 慶応3年(1867)のことで この時
アメリカにいた日本人留学生は十数人程度
新島襄(二年前から)横井佐平太・大平兄弟(横井小楠の甥 一年前)
あとは 薩摩スチューデントのアメリカ組=森有礼・長澤鼎・松村淳蔵・吉田清成
畠山良成 そして薩摩第二次米留学生=吉原重富・湯地定基 などでした
横井小楠の甥っ子二人は 若くして二人とも肺結核で亡くなっています
残念なことでしたが 維新の時 朝敵となった仙台藩の富田などは
勝海舟が 強く留学続行をすすめたので 明治政府でも活躍できたわけですね
面倒見が良かった海舟さん この富田や新島襄の墓碑の碑文も書いてますよ
いい人だと思うのにねー
下には慕われても なんか上司・同僚に嫌われてる感じが おかしくて笑えます



 



 
 

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by tukineko-diary | 2017-10-18 11:52 | 江戸検定 | Comments(0)