呂久の紅葉 皇女和宮

昨日「揖斐川」や「揖斐駅」を検索してる時に これ以前に一回何かで調べたな
・・・と 思ってたんですが 気が付きました
「呂久の紅葉だ」! 
公武合体で中山道を下向する和宮が 思わず御簾を上げて愛でた紅葉
これが「呂久の渡」でのできごとでした
この当時 呂久川(現 揖斐川)は 中山道の赤坂宿と美江寺宿の間を流れていました

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この間の警護を担った大垣藩は 呂久川に御座船を何艘も浮かべ 都を離れる内親王を
お慰めした、と 伝わっています
現在も 垂井には「御簾公園(ごずこうえん)」という和宮遺跡が残っていて
 落ちて行く身をしりながらもみぢ葉の 人なつかしくこがれこそすれ
という歌碑も立っていますよ
この時の紅葉も 同じく垂井の「中山道ミニ博物館」に額に入って残っています
しかしここ 私設の博物館で 週に二日 数時間しか開いてないので
もし見れたら超ラッキーですね
和宮の入輿行列は 中山道の歴史で 最も華々しいできごとですので
各地に様々な記録が残っています
京から江戸行きで中山道を使うのは それまでにも十代家治に嫁いだ閑院宮家の五十宮
十二代家慶に嫁いだ有栖川宮の楽姫(ささひめ)などもそうなんですが
和宮の場合 この行列は断続的に50km続き 一つの宿場を過ぎるのに
四日かかったというのですね
そのうえ前後三日は 旅人の往来禁止 住人もむやみに出入りするな
犬猫はつないどけ 焚火はするな の禁止だらけ
宿泊するところはもちろんのこと 昼食をとる場所も目に付くところは金箔・漆塗りに替え
追分宿(信州)など「分ける」というゴロが悪いと「相生宿」と名前も変えたほどなんです
この改築費や 助郷役も 大きな負担となりましたし 
とにかく中山道の道沿いの人々にとっては この行列は
子孫に語り継ぐべき めざましいできごとであったのですね
和宮は牛車に乗っていますが この牛も 多分殿中に上がるためか
「丹後守」の名が与えられていました 吉宗の象の四位と同じ意味なんでしょう

あれやこれや 豊富な話題の今に残っている和宮下向行列でありました



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by tukineko-diary | 2017-09-27 15:42 | 江戸検定 | Comments(0)