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ブログ終了のお知らせ

最近 もう歳も歳で 家事 介助 何をやっても時間がかかり
パソコンの前に座る時間もとれなくなってきました
古いノートパソコンの調子も悪いし 買い替えるエネルギーも(お金も!)
ありません
そんな中 見る専だったTwitterで 別アカを作り 日常・読書をつぶやきだしたら
反応の速さがおもしろくて この数か月はそちらにかかりきりです
残念ですが ブログはもう卒業して 月猫Twitterに移行いたします
紐づけしようかとも 思いますし 過去ブログを見に来ることもあると思いますが
とりあえず ここで一端区切りを付けます
長い間ありがとうございました
ご縁があったら Twitterでお会いしましょう

月猫 


# by tukineko-diary | 2022-07-30 11:15 | 日記 | Comments(0)

鎌倉殿の3人 第20回「帰ってきた義経」

鎌倉殿の3人 第20回「帰ってきた義経」_a0315830_11305279.jpg
義経 首桶になって帰ってきましたねー
新しい義経像 なかなか良かったと思います
この首桶が 暑い中鎌倉に届くまで ずいぶんと時間がかかったがため
「本当は 偽首じゃないの~?」ということで 義経生存説が語られるようになったのですね
「判官びいき」も 東北に多く 義経は北海道からロシアにまで足跡を残し
とうとうモンゴルで 成吉思汗(ジンギスカン)になってしまいました
「成吉思汗の秘密」高木彬光 おもしろいですよ
実際の「成吉思汗=義経説」は 戦前のベストセラー
これを書いた小谷部全一郎という人の経歴も面白いです
シーボルトの書いた「日本」と言う本の中でこの伝承に出会ったそうですよ

鎌倉殿の3人 第20回「帰ってきた義経」_a0315830_15474537.jpg
義経の運命を握ったキーマン 藤原秀衡
この人が死ななければ 本当に鎌倉に攻め込んで 歴史は変わったかもしれませんね
この秀衡が なぜこれほど 義経を庇護したのかと言うと ざっくり言えば姻戚関係です
秀衡は 陸奥守として赴任した院近臣の藤原基成の娘と婚姻し 
中央とのパイプを持っていました
この基成のいとこが あの一条大蔵卿
義経の生母・常盤御前が 再婚した相手ですね
この関係から 義経は平泉に引き取られたのでしょう
秀衡は 息子か孫のように 義経を庇護したのですねー
かっこいいおじいちゃんでした




# by tukineko-diary | 2022-05-25 17:37 | 大河ドラマ | Comments(1)

鎌倉殿の十三人 17~19回 

マンガの新刊がどっと出たり 「ゴールデンカムイ」完結したり
娘がハマった「ヒーローアカデミア」の既刊を通読したりしていたので
パソコン開く間がなかっただけですね
ちゃんと録画した大河も見てましたよ
一番ハデな部分ですねー

共通の敵だった平氏が滅び これからは内部抗争の嵐
木曽義仲とその息子・義高も討たれましたね
義高を逃がした大姫は 若くして亡くなる悲運の姫君です
そして甲斐源氏・武田信義の子 一条忠頼の誅殺
これなんて「以前から偉そうで世を乱そうとする感じ」だから
ということで 酒の席で斬り殺されます

つぎはもう義経ひとりです
そしてここに治天の君の意思が働きます
自身の武士団を持たない上皇(この場合後白河法皇)にとっては 
武士団の内部抗争をあおって 勢力をそぐのは常套手段
しかし 転んでもただ起きない頼朝は 二股膏薬の後白河に対し
「日本第一の天狗はお前の方だ」と 言い返し
北条時政に千騎の兵を付けて 京へ派遣し 義経を探すために
諸国に 総追捕使=守護・地頭を置くことを 認めさせます

現在はこの時点で「鎌倉幕府の成立」と されています

鎌倉殿によって 守護・地頭が任命され ここで初めて
朝廷主導の「王朝国家」は終わりをつげて
あらたに 朝廷と幕府がそれぞれに関与する新しい政治体制が
生まれた・・・ということですね

三回分の ざっとしたなりゆきです

来週はもう 奥州合戦かしら・・・
義経 やな奴だったけど かわいそう・・・
三谷脚本 思ったより はまるかも・・・





# by tukineko-diary | 2022-05-16 16:03 | 大河ドラマ | Comments(0)

鎌倉殿の13人 第16回「伝説の幕開け」

鎌倉殿の13人 第16回「伝説の幕開け」_a0315830_16241112.jpg
上総介ロスについで 木曽殿ロスですね~
大河の義仲は 田舎者の純朴さのある 義に厚い人物に描かれていましたが
実際は 長期的展望や政治上の強いつながりを持たぬまま
成り行きで上洛してしまい 自滅した人…とも言えますね
都の治安維持もできず 「治天の君=上皇」だけに決定権のある次期天皇に関して
口を出して 後白河法皇や公家たちに嫌われ 平家追討に追いやられてぼろ負け
その間に 法皇は頼朝に頼って 義仲追討軍との板挟み
帰京した義仲は 前代未聞の殺戮「法住寺合戦」を起こすのですね
法皇の住まい法住寺を襲った義仲軍は 法皇の第五皇子・園城寺の円恵法親王
天台座主・明雲も殺害
五条河原で百もの首をさらして 勝鬨を上げました
当時の日記には「筆舌に及び難く」「いまだ貴種高僧のかくの如き難に会うを聞かず」
と 非難されています
こうして 義経たちに追われた義仲は 顔面を矢で射られ絶命します
享年31才
「平家物語」は 木曽殿の最期 劇的に書いていますので どうぞ読んでみて
反して「吾妻鏡」は あくまで鎌倉のことしか書いてませんのでね
たぶん源平合戦や 平氏滅亡も 大河だとワンカットの恐れあり・・・
でも 大河ドラマで見ると わかりやすくなるので「軍記物」に手を出してみるのも
一興かと思います おすすめ! 

結構 キュンです



# by tukineko-diary | 2022-04-25 18:16 | 大河ドラマ

鎌倉殿の13人 14回「都の義仲」15回「足固めの儀式」

鎌倉殿の13人 14回「都の義仲」15回「足固めの儀式」_a0315830_15101619.jpg
上総介ロス!ってTwitter大騒ぎですが そうなんですか?
佐藤浩市さんだからかしら、三谷演出のせいなのかしら

まあ どちらにしても 実際はこの辺から頼朝の出る杭は叩く路線が 急発信
やがて 弟たち同様 少し目立てば 一族郎党 謀反の疑いをかけて殺しちゃうのね
この時 上総介を討った梶原景時だって やがては・・・

この頼朝の非情さは 長きにわたる流人生活の影響もあるのでしょう
反対にこの苦境の間に かわらず庇護してくれた比企一族と安達盛長には
一貫して手厚く接しています

この非情さこそが 京を離れた坂東で武士政権を確立させた要因なのでしょう

後に江戸で幕府を開く徳川家康が 武家政権の手本として参考にしたのが「吾妻鏡」です

そして 上総介の死に際し 涙を流していた義時ですが
頼朝亡き後の鎌倉で その非情さを受け継ぎ 政権を維持していくのは
未亡人の政子と義時でした
そのためには 実の子、甥を 妻の実家を 妹の夫を 次々に追い落としていくのです

「吾妻鏡」が 称揚する泰時も生まれたし これからおもしろくなっていきますねー

あ、あともう一つ 鎌倉後期に成立していた軍記物「源平闘諍録」(げんぺいとうじょうろく)だと
伊藤祐親の娘・八重は 上総介の死後 所領を受け継いだ千葉常胤の息子で
相馬氏の祖・相馬師常に嫁いだことになってますよ

諸説あって 実際はどうなったかわからないのに あれこれ書かれた八重姫です 


# by tukineko-diary | 2022-04-18 17:00 | 大河ドラマ | Comments(0)