黛 佐野槌屋

a0315830_11060563.jpg
吉野 夕霧 高尾が江戸前期の名妓だったのに対し
さんが 有名になったのは後期 安政の大地震(1855)のことです
↑ 上の絵は その黛さんが 山の宿の仮宅で 出の前のお化粧をしている所
・・・を 浅草の奥山で「生人形」で再現した見世物を描いたものです
左奥の掛け軸に「古今大入大評判」とありますように
大変な盛況で 64文という高額な料金でも 満員札止めが何度もあり
初日だけで 売上が百両あったということです
その上 中では四文で遠眼鏡を貸して覗かせたのが知られています
上のような見世物絵が 40種類もでたそうですよ
みな 同じ場面を描いているので 構図はほとんど一緒
ただ男の人の位置が 右か左かの違いくらいです
この男性は 黛さんの櫛・笄などの装身具を買い取りに来ているのですね
安政の大地震では 江戸中が大被害にあい 新吉原も壊滅しましたが
生き延びた黛さんは 自分の装身具を売り 30両こしらえて
その代金で 焼き物の雪平鍋をこしらえて 6か所のお救い小屋に
600個 炊き出し用に寄付したのです
これが幕府の耳にも届き 銀二両のご褒美も出ました
それが評判になったので 奥山で「生人形」にしくみ
災害後の娯楽に飢えた人々を 引き寄せたのですね
黛さんは七つの歳にこの世界に入って以来 実の両親とは生き別れ
今頃どこにどうしておわすやら・・・
尽くせぬ孝行の代わりとも 江戸の人々の一助となって せめて後生を・・・
芝居がかりに言えば こういうことで 見世物の口上でも きっと
こうした文句で 多くの見物の涙と 好き心を誘ったのでしょう
仮名書魯文「安政見聞誌」に 詳しく載っていますよ



[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-22 12:07 | 江戸検定 | Comments(0)

三田村鳶魚「未刊随筆百種」

a0315830_08561113.jpg
   
 三田村鳶魚の江戸シリーズ
 お読みでしょうか?
 私は 古本市で文庫版をポツポツ買い集め
 結構揃えましたが 今ならAmazonで
 一円で売ってるみたいです
 ちょっとさびしい・・・
 頑固おやじの話し言葉で 書いてる感じで
 昔は 読みにくかったんですが 今では
 同世代 って感じがして好きになりました
 そう 歳のせいね
 ← この「江戸の女」も 茶屋の女・下女
 囲い者 など様々な女たちを あざやかに
 江戸の香りふんぷんと語ってくれています
 あと このシリーズには「御殿女中」っていうのも
 ありますから 目を通してみてもいいかもしれま
 せん
 鳶魚翁のお仕事で 一番「ありがとう!」と
 思えるのは「未刊随筆百種」です
 刊行されずに このまま時代と共に消えてしまうか
 もしれない江戸の名随筆を 12巻のシリーズで
 出してくれたのですね 
 第一巻「岡場遊郭考」や二巻団十郎の「勝扇子」
 第三巻「村摂記」などなど・・・・
 今では 国会図書館デジタルでも読めますが
 愛してやまない「紙の本」で読みたい方
それほどお高くもなく全巻買いもできます
「燕石十種」のシリーズもいいですが 江戸好きは こちらもぜひ!
 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-21 14:06 | 江戸検定 | Comments(0)

残酷なゆりかご

 a0315830_13484079.jpg
 大阪の地震に 心を痛めながらも サッカーの奇跡に
 歓声を上げたり 読書をしたりしています
 ここ最近 江戸関連書籍ばかり読んでいますので
 それ以外の本は いいかげんにさがしています
 とうとう図書館からの供給がとだえたので ねー
 何か読むもん 持ってない?と 家族に聞いたら
 Kindleに代えた夫からは カーグラフィックと
 サバゲーの本を大量に提供されましたが これは丁寧に
 辞退して 娘が聖地巡礼に行くほど 入れ込んでる
 有栖川有栖の「火村助教授シリーズ」を読むことにしま
 した
 少し前に TVドラマにもなりましたので みなさん
 ご存知かと思いますが エラリー・クィーン好きの
 有栖川さんは 自作にも「有栖川有栖」という名の
 推理作家として登場します
 舞台は大阪がほとんどで 有栖川氏が住んでいるのも
 四天王寺近くの夕陽が丘です
 もう20年以上書かれているシリーズなので 第一作
から読まないと このおもしろさはわからない!という 
ファンのご宣託で 素直にちみちみと読み続け 昨日6月19日に
とうとう単行本「妃は船を沈める」の中の「残酷な揺り籠」にたどりついたのです
お読みになった方は覚えているでしょうが この小説の冒頭で
大阪北部を震源とした震度6弱の地震が起きるのです 
そのさなかに起きた殺人事件を 解決するというあらすじですが
タイトルは この中で火村助教授が 幼い時 怖い思いをして以来
地震が何より嫌いという女生徒に言う言葉です
「赤ん坊だって地震は容赦しないからな
「この国は 残酷な揺り籠みたいなもんだ
そのうえ この本の「はしがき」有栖川さんが書いたものですが
その日付が ちょうど10年前の「6月19日」でした
あー こういう事もあるのねぇ
偶然 この日に読んだために たぶん忘れられないこのタイトル
そして 日本人はみんな 同じ「残酷な揺り籠」に生まれてきたのね
決して油断せずに 災害準備しないとねー・・・と 思ったのでした






[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-20 14:41 | 本の話 | Comments(2)

吉野太夫

a0315830_14392241.jpg
 順番として京・島原の吉野太夫 行きたいのですが
 江戸時代の浮世絵がないんですよねー これが・・
 ← これは伊藤深水の絵ですから 昭和のもの
 最近亡くなった朝丘雪路さんのお父さんですものね
 高尾や夕霧太夫は たくさん出てくるのに なぜ
 吉野太夫は浮世絵が みつけにくいのでしょうねえ
 これはひとえに彼女が 灰屋紹益という当時のお大尽
 の正妻になって 幸せに暮らしたからなのでしょうか
 そのかわり 逸話はたくさん残っています
 有名な吉野太夫は 松田徳子という二代目ですね
 慶長11年(1606)の生まれで 14才で雲州公の後援
 で太夫になります
 「色道大鏡」によれば 頭もよくあでやかで香道の名手
 宴席のとりもちがよく 客の心をひきつけ 吉野の名は
 中国にまで聞こえたと 書いてあります
 お客も一流で 当時の関白・近衛信尋は後陽成天皇の息子で
 後水尾天皇の実弟でした
 この人と張り合って 灰屋紹益が勝ったということですよ
 すごいですねー
 井原西鶴の「好色一代男」の主人公・世之介は 吉野太夫と結婚します
「続近世畸人伝」には 吉野に一目ぼれした刀鍛冶が 悲願を立てて 大金を貯め
一夜思いを遂げると もう思い残すこともなしと 翌日桂川に身を投げ果てた
・・・と言う話も残っています
伝説の遊女は 絵にも描けない美しさだったんでしょうかねぇ
 
 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-19 15:33 | 江戸検定 | Comments(0)

夕霧太夫 大坂新町

a0315830_16141705.jpg
大坂 新町の夕霧さん 書こうと思ってたら 朝の震度6
まだくわしい被害状況もわからない状態で どうかなー?と思いましたが
上げておこうかな…と思います
私も あの3.13の時 新宿駅で不安な数時間をすごしましたので
みなさんの気持ちわかります
心は家へと走りますが まずはわが身の安全を
そして家にいる方 倒れたものは 余震が来たらまた倒れます
片づけたい気持ちはわかりますが しばらくは低いところに

では 夕霧太夫です
吉原の高尾 京の吉野太夫と並んで「寛永の三名妓」と言われます
高尾が 万治高尾・紺屋高尾・榊原高尾・・・と何人もいるのに比べ
夕霧さんは 初代のみがとくに有名です
「古今命婦伝」の詞書 書いておきましょう

夕霧 浪花新町 扇屋の遊女なり
心優しく 書に妙を得たり
惜しい哉 早世す
今も寺町 浄国寺にこの妓の墓あり
花岳芳春信女といふ
この妓 着たる打掛 今猶存せり
夕霧が文 九軒吉田屋にあり 
且 板行して 好事家の玩となれり
かの夕霧が墓にて 伊丹の鬼貫

 この塚は 柳なくても 哀なり


亡くなったのは延宝6年(1678)1月7日
「夕霧忌」は 俳句の春の季語にもなっています

 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-18 16:45 | 江戸検定 | Comments(0)

満天姫の嫁入り道具

 a0315830_13045361.jpg
 満天姫は Wikiで絵姿もありますので
 今日はゲームキャラの満天姫お届けしましょ
 結構いろんなゲームに登場してますよ
 家康の母・於大の方(伝通院)が久松家に
 再嫁して生んだ家康の異父弟・久松松平康元の娘
 で 最初は福島正則の養継子・正之に嫁いで
 一子・直秀を産みます
 しかし 正之が死ぬと 一度 実家に戻り
 次に 津軽信牧に再嫁します
 テキストにも載っていましたね
 この再婚の時 家康にねだって持って行ったのが
 「津軽屏風」と言われている関ヶ原合戦図屏風
 現在 大阪歴史博物館にあるものです
 関ケ原の合戦図屏風は 現在十数双 残っていま
 すが その中で最も時代が古く 全体の構図も
 全く異彩を放っています
 この他のものは 江戸時代の末期に「写された」
 もので 構図がほとんど一緒ですね
 赤備えの井伊隊の活躍が中心に描かれているのが
 特徴で これはやはり井伊家の系統が描かせた
 ものなのでしょう
しかしこの「津軽図」は 江戸の初期に描かれ 一説には駿府城に
八曲二双で飾ってあった家康のお気に入りの屏風だったそうです
満天姫が嫁入りに際して これを持ってきたというのは 文書にも残っています
しかし 今 大阪歴史博物館にあるのは その内の一双分だけ
片方だけ・・・というのは 初めから 半分だけ持ってきたの?
それとも 片方はいつの時代かに バラバラに売られたかしたの?
今残る屏風には 大垣城が攻められている様子
石田三成の陣所・笹尾山に 攻め手が押し寄せる様子
また天満山の宇喜多隊と 満天姫前夫の福島隊が 戦う様子が 描かれています
これはどうなの?
石田三成の娘・辰姫をかくまったうえ 正室にしてる津軽信牧に嫁ぐのに
なぜ これを持っていく? ただ知らなかっただけ?
考えてみると とっても怖い満天姫の嫁入り道具です
 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-14 14:02 | 江戸検定 | Comments(0)

大橋巻子 夢路日記

a0315830_16483881.jpg
江戸検 今年のテキストにも載っていました大橋訥庵(とつあん)妻・巻子
「吾嬬絵姿烈女競」の中にありました 芳年です
もともと商家の娘で訥庵は 婿養子だったのですね
文久2年 坂下門外の変が起こると これに連座したとして夫・訥庵
養継子・陶庵 そして実弟の菊池教中は召し取られ
夫と弟は 半年に及ぶ入獄の直後に 病死してしまいます
この間の 不安と悲しみを和歌を交え綴ったのが「夢路日記」
これは事件の直後から 写本によって広まり
長州・肥後の勤王の志士たちも 書き写したそうです
野村望東尼も これを読み 次のように詠んでいます

 ある人のもとにて(中略)大橋正順(訥庵)うしのつま君の
 ゆめ路日記などを見て
   玉という玉はくだけて光なき さざれかわらのかがやくはなど

価値のある人々が亡くなり つまらない人々が権力を持っているのはなぜだ
・・・という 時代を嘆いた歌ですね

これからは テキストに名が上がった女性で
簡単な記述は もうちょっと詳しく 覚えやすく
名が上がってなくても 出るかも…と思う人のことも書いていきます
夏受験する方も どうぞ読んでね 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-11 17:25 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロインたち~百花繚乱の女性像~

a0315830_11523006.jpg
 今年のキス やっと届きました
 思いのほか薄かったので 一時間で読みました
 今年 やっぱりねらい目ですね
 女性に限定してるので 全く知らない名前って
 少なく かなり楽なのではないでしょうか
 新規合格者が たくさん出るといいなあ
 ただ一つ意外だったのが 「吉原」解禁!
 しかし吉原のしくみに関するものはなく
 有名どころの花魁・太夫の名前のみですが
 これで いろいろ書きやすくなりました
 予想してたので 出てない名前は「高山たつ」
 もしくは「高山みつ」
 これは古い文献が見つからないので出題されない
 のかな?
 このキスにもありましたが 江戸の有名女性
 はたいてい浮世絵になっています
 そこで一つ こんなのはどうでしょう?
 豊国画 柳亭梅彦・柳亭種彦 文の
「古今命婦伝」 (慶応2年)です
 当時の江戸庶民も よく知っていたはずの
 名前が多く見られます
 加賀の千代や 田捨女 祇園梶子 八百屋お七
丹前風呂の勝山 玉菊 夕霧 黛 万治高尾
など 遊女系もたくさん載っています
ぜひ一度 眺めてみてください
ただし 検索がちょっとむずかしいかも・・・
これ 「古今命婦伝 豊国 柳亭梅」 この10文字で検索した時のみ
画像の一番トップに出ます
中国語のサイトです このサイトならシリーズのほとんどが見れます
どうやら 中国人観光客向けの浮世絵案内みたいなんですがね
ちょっと不安なので リンク張ったり コピペしたりはしませんが
ま、見るだけならなんてことないか・・・と
エロサイトとちがって これは固まっても困らないし 大丈夫かな
 
 
 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-10 12:46 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~元禄五俳女

a0315830_15564450.jpg
                       
 雪の朝 二の字二の字の下駄の跡
 ご存知ですね 何と6才の田捨(でん すて)が詠みました
 ← 丹波 柏原陣屋跡にはこんなかわいい銅像が立って
 います
 この丹波の捨も含め「元禄五俳女」には 大津の智月
 江戸の秋色 伊勢の園 加賀の千代
がいます
 Wikiなどでは 名前の後に「女」がついて 千代女
 捨女・・と書かれていますが 女性の俳人の場合
 ○女…と呼ぶのが通例でした
 朝顔に つるべとられて もらい水
 これは 誰かわかりますね
 井戸端の 桜あやうし 酒の酔い
 は 上野の秋色桜に名を残していますね
 伊勢の園は 深川八幡の門前に住み 歌仙桜と呼ばれた
 桜の木を植えました
 上の三人ほど 誰でも知ってる句をのこしたわけでは
 ありませんが芭蕉とは 伊勢や大坂で 会っています
 大津の智月は 山城・宇佐の生まれで 近江蕉門の
一員でした
何度も 芭蕉を迎え 旅に死んだ芭蕉翁の 最後の旅の死装束はこの人が縫ったそうです
どなたかは 試験に出るでしょう
調べておいて ご損はないかと・・・                                  

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-08 17:27 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~只野真葛

 a0315830_12381259.jpg
 マンガなどで「タダノ クズオ」という人物が出て来た
 ら あ、くずキャラなんだな ってすぐわかりますよね
 「丸出だめ男」といっしょです
 只野真葛も 結構なクズ感のある名前だと思います
 もちろん「真葛」は 今で言うペンネーム
 ← 実は こんなきれいな実のなる「さねかずら」の
 ことです
 何しおはば 逢坂山のさねかずら 
          人に知られてくるよしもがな
 和歌でも有名ですよね

この真葛さんは 仙台藩医・工藤平助の長女として宝暦13年(1763) 江戸で生まれました
この時は 工藤綾子ですから 現代にも通用する名前ですよね  
父・平助は「赤蝦夷風説考」書いた人 時の老中・田沼意次にも重用され
文人大名や 蘭学者が出入りする家で育ちました
しかし田沼失脚にともない 家も傾き 綾子も仙台藩の奥に仕え
26才の時には 年の離れた人のもとへ 一度嫁に入っています
ところが泣いてばかりいたので あっという間に出戻り
30才になった時 一番下の妹がまだ7才というのに 母が亡くなり
35才では 跡目を継いだ弟の力になれるようにという父の思いで
仙台藩の千二百石取り 只野伊勢の後妻に入りました
只野は 仙台藩の江戸番頭をつとめ 本国には先妻の子供がいました
結局 真葛はその留守宅を守り 子供を養育するため仙台に下るのです
この時の道中は「みちのく日記」という旅行記に記されています
うーん とうとう「只野真葛」になりましたね
その三年後には 父も死に 十年後には弟が
そして夫も 真葛50才の時 江戸で急死しています
ここから 真葛は著作活動に専念 
55才で 代表作であり 数少ない江戸期の女性による経世書  
「独考(ひとりかんがえ)」を 書き上げます
世の矛盾や不合理を指摘し 他国と比較するこの書は
儒教道徳を真っ向から批判する内容でしたので
滝沢馬琴に出版を依頼するも 強く反対され 結局 上梓されませんでした
関東大震災で一部が消失し 今ではその全容は うかがい知れませんが
近世の女性の残した「独考」 たぶん江戸検にも出ます
しっかり覚えておいてくださいね




 


[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-07 13:24 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~富士山に登った女たち

a0315830_16251625.jpg
「富士山が大好き!」というと「じゃあ登りましょうよ」と誘っていただきますが
私 富士山見るのが大好きなので 登るのは好きじゃありません
なんなら「嫌い」と言ってもいいくらい
↑ 上の絵は「富嶽三十六景」の内 ただ一枚 富士の山容が描かれてないもの
「諸人登山」の図なんで 美しい富士山の姿は見れません
描かれたのは天保初年から3年頃(1830~32)
ちょうどこの頃 天保3年に 女性が富士山の頂上「剣ヶ峰」に登頂したという
記録があります
鳩ケ谷出身の小谷三志(「不二道」の創始者)に導かれ
小谷を含む6人の男たちと共に 男装して登頂したらしいのですが
この女性は「深川のみつ」のちの「高山みつ」という名前があるのみで
あとのことは よくわかりません
たぶん昭和も下った頃に書かれた本に「高山たつ」と誤記されたのでしょう
以降 ろくに文献に当たらずにこの本のみから引用され
あちこちに「高山たつ」とあるだけでなく 高山右近の直系子孫とか
尾張徳川家の奥女中だったとか どこから出てきたかわからない尾ひれがついています
出典が定かではないので 時間ができたら 図書館で調べてみようと思っています
江戸時代には 女人禁制の場所がいっぱいありましたね
お寺や神社や山などですが 富士山も通常は二合目の御室浅間神社まででした
しかし60年に一度の庚申の年には 女性も八合目まで登れました
富士山は 孝霊天皇5年 一夜にしてできたと言われ この年が庚申だったので
「富士山開闢庚申の年忌」として 開帳するのです
寛政12年(1800)の開帳では 宿泊客の中に何人かの女性もいたそうですが
登頂記録は 不明です
次の万延元年(1860)には 出雲から来た西村美須さんが
八合目まで登った旅行記を書いていますよ
ついでに外国女性で 初めて富士登頂を果たしたのは
英外交官パークスの夫人です 慶応3年 ぎり江戸時代ですね
でも私は やっぱり洗濯物干す時に 自宅のベランダから見る富士山が
一番 お手軽で 好きですけどね


[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-06 17:25 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~関所を抜ける女たち

a0315830_11113056.jpg
「入り鉄砲 出女」が厳しく取り締まれた江戸時代
女性が旅行するには「女手形」が必要でした
この発行が非常に複雑 江戸を出る女は幕府の留守居役が発行し
京都の場合は 京都所司代か京都町奉行所 大坂も大坂町奉行が出します
これは武家や身分のある者たちで 一般庶民の女性は
市中なら町奉行所、地方だと寺や庄屋・名主が奉行所へ申請し
奉行所の「裏書」を付して 発行するのです
そんな面倒な手続きを踏んで せっかく女手形をもらっても
関所によっては さらに厳しい「女改め」がありました
東海道なら箱根と新居 中山道なら碓氷関所と木曽福島関所ですね
女手形には 身元・人数 乗り物の有無とその数 行先 申請者
そして女の区分というのがあって 禅尼・尼・比丘尼・髪切・女・小女
の六種類の他 懐妊何か月か 鉄漿(おはぐろ)の有無なども書かれ
少しでも記載事実と異なれば 申請しなおさないと関所を通しませんでした
例を挙げると 讃岐丸亀の井上通は 江戸藩邸へ赴く際 箱根関所で
脇を開けた振袖を着ていたため 22才でも「女」ではなく「小女」と
書かねばならないと留められ 手形発行した大阪奉行所に再申請を
しなければなりませんでした
そのために要する日にちは6日で その間足止めされるのですね
↑ の写真は この箱根関所のそばにある「お玉が池」です
元禄15年のこと 伊豆から江戸へ奉公に出た13才のお玉は
ホームシックのあまり 家に逃げ帰ろうとして この箱根関所で
柵にはさまって動けないところを見つけられ あわれ処刑されてしまうのです
まー 武家でも庶民の少女でも 関所を抜けるのは至難の業ね!
・・・と 思ってたら おっとどっこい!
旅日記を書き残した女たち 手形も持たずに 関所なんて何のその!
時には 脇道で大回り 案内人を雇って夜に抜けたり 賄賂を使ったり
あの手この手で 抜ける 抜ける!
美濃の三宅八重さんは 近江の柳ケ瀬関所で 女手形を持っていない!と
いたく叱られたので 宿の亭主に頼み 菓子料として50文の賄賂を渡し
無事に通過しました
  ありがたや 通れんとこも銭次第 関守さんも心五十か
なーんて歌まで詠んでます
江戸の旅する女たち たくましいですね
彼女たちの強いハートは 昭和の50年代 ヨーロッパでもアメリカでも
団体の強みと 日本語だけで 世界に立ち向かった農協ツアーのレディたちに
受け継がれているのでしょう




[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-05 12:39 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~旅する女たち

a0315830_12444512.jpg
 
 江戸時代の女性が 残した随筆・日記を読むこと
 は 彼女たちの日々の何気ない生活 世間の噂や
 流行りもの 当時の女性の立場などを知るために
 この上ない貴重な史料だと思います
 柳沢吉保の室の書いた「松蔭日記」
 大奥の広敷用人の妻の「井関隆子日記」
 蘭医 桂川家の娘 みねの「うたかたの夢」
 武家方の女たちの書いたものは ありますが
 それ以外 庶民(・・といっても商家や 庄屋
 の妻など経済的余裕のある女性が多いのですが)
 彼女たちが多く残したのは「旅日記」です
 今と違って 苦労の多く お金もかかった時代
 「旅」は ほとんどの女性にとって生涯一度
 の事だったのでしょう
 そして旅立つ時も ほとんどが子供を育て上げ
 夫に死に別れ 家督を譲った後の50才前後が
 圧倒的に多いのです
 女50才は 旅立ちの時なんですね!
 そういえば私が「江戸検定」受けようと勉強はじ
 めたのは 50才の時でした
 ← 左にあげた本は そんな女たちの旅日記が
百余点まとめられた労作です
観光だけではなく 国替え 幕末の動乱期の移動 参詣・巡礼など
旅の目的ごとに 章分けされ 一作ごとに作者の経歴・行程などが詳しく書かれています
「事典」と言ってしまうと 読みづらく感じますが
全くそんなことはなく 読みふけってしまいますよ
お高いので 私は図書館で借りましたが これは買ってもいいご本です
近世女性史に関しては 「江戸の女性」という大きなくくりのものが多く 
ちゃんと個人名で 多くの実在の女性がこれほど集まったものは
なかなか見つけられないと思いますので 今年 江戸険を受験される方
必読 必読!です
二回 必読いいましたが 別に十回書いてもいいくらい必読ですよ
 
 
 
  

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-03 13:30 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~女性天皇

                                                                  
a0315830_10453131.jpg

 江戸のヒロイン 間違いなく二人の女性天皇 入りますね
 そのうち ← 明正天皇(めいしょう)は 二代秀忠の
 娘・和子が 後水尾天皇に入内して 産んだ子です
 和子(かずこ)は 家光の妹で 宮中では濁音を嫌うので
「まさこ」と読みをかえています
 男子も二人生まれましたが 幼折
 寛永6年 紫衣事件がおこると 後水尾天皇は怒り心頭
 長女である和子の娘に いきなり内親王宣下 譲位して
 しまうのです
 この時 明正天皇たったの七才
 称徳天皇以来859年ぶりの女帝でした 
 もちろん実権はなく 院政ですし 次の男子が即位するまでの
 つなぎではありましたが 徳川家が天皇の外戚になったのは
 この時だけですね
 寛永7年から20年まで 在位しました
 
さて その次の女帝は後桜町天皇
この人が今のところ最後の女帝ですね
先代・桃園天皇の時 宝暦事件=竹内式部の一件がおこります
この時の将軍は9代家重ですね
このゴタゴタの内 桃園天皇は22才の若さで急死
まだ幼い皇子に代わって やはりつなぎで 即位したのがこの人
桃園天皇の異母姉にあたります
在位9年 明和7年(1770)後桃園天皇に譲位して上皇となりますが
この甥っ子 皇子を残さずにまた崩御してしまいます
仕方なく 閑院宮家から9才の師仁王を入れて光格天皇とします
ここで 例の尊号一件が起こるのですね
光格天皇は 実父が天皇でなかったので 何としても
「太上天皇」の尊号を贈りたかったのです
この時 後桜町上皇が「御代長久が第一の孝行」と光格帝をさとした
のは有名な話です
この女帝は ただのつなぎではなく 結果的にですが
朝廷の権威向上に努め 天皇の良き補佐として 後の尊王思想
への端緒となったことで「国母」とも呼ばれました

この二人 きっと出題されますので 自習しといてくださいね



 
 

[PR]

# by tukineko-diary | 2018-06-02 12:19 | 江戸検定 | Comments(0)

江戸のヒロイン~絣を織る女たち

 a0315830_15274190.jpg
 江戸のヒロイン この二人も上げておきましょう
 江戸時代からの絣(かすり)の三大産地 知ってますか?
 久留米絣(福岡)・伊予絣(愛媛)・備後絣(広島)です
 この内 久留米絣は ← この銅像の井上伝
 伊予絣は やはり地元・松山に銅像がある鍵谷カナの創始
 なんですね
 江戸時代の女性の生産的な仕事の一つが織物です
 二人とも幼い時から 機を織ることを覚え 新しい
 模様織を作り出します
 地元のHPには この二人の事 詳しく書かれていますの
 で名前で検索して見てください
 たぶんテキストにも 載っていると思いますが 本番の
 問題としても 出るんじゃないかなと思います
 武家の女性以外は なかなかヒロインって見つけにくいし
 吉原は たぶん出ないし 残るのは誰でも知ってるビッグ
 ネーム(笠森おせん・八百屋お七・葛飾応為・楠本いね)
 にかたよってしまいそう
合格を目指すなら それ以外の地味なヒロインを こつこつと拾っていくしかないですね

こんな問題どうでしょう?

問 農家に嫁ぎ その傍ら機織りをしていた私は 享和年間 新しい絣模様を考案し
  織屋・菊谷新助の考案した高機を使って織り出し 出身地名をとって今出織を
  完成させました 後に(    )となって土地の名産として人気を博します
  菩提寺には 私の頌功堂があり 地元のかすり会館には私の銅像もたっています
  (   )の中は次の内どれでしょう? 

  (い) 久留米絣 (ろ) 伊勢崎絣 (は) 伊予絣 (に) 備後絣

上を見ないで 答えてみてね


 


[PR]

# by tukineko-diary | 2018-05-31 16:12 | 江戸検定 | Comments(2)